さとし君の日ごろ

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help リーダーに追加 RSS 『私の25歳の時』

<<   作成日時 : 2008/06/13 04:46   >>

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前日の深酒が二日酔いとなっても、午前中には作業服に汗となって白く固まり、すっきりする

そんな自動車部品を作る工場に、25歳の時にいた。

低賃金重労働の工場の残業時間は20Hが目一杯であった。しかし食べることと少々遊びもできていた。

ピンハネをする、スタッフ出し会社の「臨時工」とも働いた。こんな中小にもいるんだ〜と思った。


25歳の4月30日、下宿の窓からの空は快晴。TVは「ベトナムの勝利」を伝えた。

大変嬉しい気持ちになった。そんな気持ちを持つ自分と工場勤めの生活を決めたのは、

完全に自身だけではないが。しかし、好き勝ってなことをする分には親に迷惑のかからない

自活した生活を送ろうとしてきた。親からは手紙も来る生活であったので、親との関係

は良好であった。



社会を良くするには、学生の過激な運動だけでは駄目なので、自分の考えをみんなに社会に

広げようとしたい25歳の自分があって、自分で決めて工場に勤め、労組の教宣部長をしていた。

建築デザインをしっかり勉強していきたいことと、世の中の為になるデザインのことを突き詰めたなら

いつのまにか工場の熱処理ラインに立っていた。自分に適性なことか?デザイナーの道を捨てるのか?

いつも悩みに悩み。。。いつかそのうちに吹っ切れて。



こんな決定もできたのは、まだ社会にゆとりがあったから。前の世代の教育も影響してるのだろう。

さとしの親世代は生活との闘いは力強く、反戦平和の願いを子に託した。社会抗議の仕方も教えた。



誰に何を訴えていたのだろうか。25歳の若者は。
掲示板を使って社会には自分の悩みを出した。
重大事件を起こし、親には最低でもなにがしかのことを訴えたと思うが。。。


私は、今の若者がニュースに出たことをするほど、追い詰められてるとは知らなかった。
何に追い詰められたか、それは今のところ、若者としての生活と社会人としての生存だと思ってる。


男の若者の一人による、何十年もなかった大きな事件。永山則夫連続射殺事件が思い浮かぶ。

永山事件は発生から後年になって、みんなが理解しようとしてきた。永山事件からは、犯人が貧困

過ぎて、学校もろくにいけなかったことがズシンと感じられた。



マスコミにしか情報を得られない自分の現在、この事件をどこまで忘れられないでいくことができるか。

マスコミには忘れないで、時間をかけて情報を出してもらいたいものだ。



1975年(昭和50年)サイゴンが陥落しベトナム戦争が終結した。先進国の歴史の大転換点に当る年と思います。







好き嫌い、賛否両論がありますが、羽仁五郎、高橋和巳、鶴見俊輔、野坂昭如、寺山修司さんみたいな
若者の生活の精神的支柱となるような者が、今の若者にとっては誰か?私には全くわかりません。

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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
秋葉原の彼のことは、ちゃんと分析をしないといけませんね。マスコミが興味本位に取り上げて、時間が経てば忘れる…。問題は先送りになるんじゃ困ります。
きっと、社会・教育のあり方を論ずる必要があるのでしょうね。今の日本そのものを語ることになるでしょう。
おいちゃん
2008/06/13 10:56
おいちゃん〜おはようございます。
まったくそうですよね。今の日本そのもののような気がします。経済関係の団体のリーダーのみなさんにも考えてもらいたいですね。
さとし君
2008/06/13 11:29
昔、25歳頃会っていたら、きっと、さとし君とは、大激論になっていただろうけれど、でも、昔は陰に篭らなかったから、理由無き殺人みたいな事件は、誰も軽蔑したと思うわね。
秋桜
2008/06/13 19:21
いつも悩みに悩み。。。いつかそのうちに吹っ切れて。

これって、今の私?って思っちゃいました。
さとし君の自分史の一部を読んでいると、生きているな〜って思いました。
悩むって、いいことなんですね。
私も、生きているのね〜。
デザイナーのさとし君も今こうして、存在している。
その時その時に輝いている感じがします。
マイルド
2008/06/14 00:03
もしかして、僕と秋桜さんだけで言えば、「両極」(笑)にいたと思いますので、イエテル、大激論にはなっていたことには違いないっすね。
確かに、陰に篭らず自己発信することができていまして、表現技法も口頭で上手く表現するにはどうしたらいいかとか、文章でやるやつはしてました。大人っぽかった。集うチャンスをみんながつくってましたね。
相手がみえていて、乗り越えようとしていた。
誰でもよかったと思わせるほど、若者を追い詰めた、今の世の中の世知辛さを痛感してます。
さとし君
2008/06/14 00:58
マイルドさん〜こんばんは〜。
いつかそのうちに吹っ切れた悩みの中味は、自分にふさわしい人生の水路をあえてねじ曲げるようなことをしたのです。男の子ってもんでした。
腹を痛め、子供を生み落す、女性の悩みのほうが重い。また女性は悩む時期をほとんどの場合待たざるを得ないんだと思います。
何歳になっても、気が付いた時や悩みはじめた時が1年生という心がまえでやっていけたらいいですね。
悩みのあった25歳の若者には親を呼び出し、不満や悩みをぶつける、大喧嘩もする気持ちの余力もなかったことが悔やまれますね。
さとし君
2008/06/14 01:27
昔、立ち読みした本の中で、失敗した時に人のせいに
する人間と自分を責めるタイプとがある。これって
まるで主人と私じゃないの・・って思いました(笑)
彼は人のせいにして自分のプライドが傷つけられるのを
ごまかして生きてきたんじゃないか・・まだ謎ですけどね。
さとし君の年代は”若い時の苦労は買ってでもせよ”と
いう言葉で、自分はきっと乗り越えるんだという逞しさが
ありましたよね。今の子が聞けば鼻で笑いそう。。。
あの頃はまだ未来は明るいと信じてた・・・
まとまりのないコメントで申し訳ございません。
のんびりかあさん
2008/06/15 18:55
のんびりかあさん〜こんにちは。
男は変なプライドがありますね。ご主人さんの対応わかりますよ。(笑)
自分の理想に燃えてしまっちゃい、過酷な労働をする工場にいたことがありました。昔から金属製造や他の仕事でも大変重労働をする現場はありましたよね。20歳台前半で世の中の実体を、こうゆう仕事場があるのかと、知ったおもいでした。それができたのも、やはり明るい未来や他にも就労にチャンスがたくさんあるからできたのでしょう〜と、そう思ってます。学問とはなにか?とか抽象的な思考をする余裕もありました。おっしゃる通りです。今思えば、今の仕事に全然関係ないのですが、ただ救いなのは、建築現場よりも過酷な現場を知ってるので、現場で、場合によっては、威張ることができるってことです。(笑)まとまりのないコメントなどと、とんでもございません。こちらの記事も筋のない、言いたいことが不明なもので、ただ時代の違いだけは言いたかったのと、若者が追い詰められやすい今は時代かと。たまたま自動車部品の会社に25の若者と同様、私も居たものですから。
さとし君
2008/06/16 19:28

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