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前日の深酒が二日酔いとなっても、午前中には作業服に汗となって白く固まり、すっきりする そんな自動車部品を作る工場に、25歳の時にいた。 低賃金重労働の工場の残業時間は20Hが目一杯であった。しかし食べることと少々遊びもできていた。 ピンハネをする、スタッフ出し会社の「臨時工」とも働いた。こんな中小にもいるんだ〜と思った。 25歳の4月30日、下宿の窓からの空は快晴。TVは「ベトナムの勝利」を伝えた。 大変嬉しい気持ちになった。そんな気持ちを持つ自分と工場勤めの生活を決めたのは、 完全に自身だけではないが。しかし、好き勝ってなことをする分には親に迷惑のかからない 自活した生活を送ろうとしてきた。親からは手紙も来る生活であったので、親との関係 は良好であった。 社会を良くするには、学生の過激な運動だけでは駄目なので、自分の考えをみんなに社会に 広げようとしたい25歳の自分があって、自分で決めて工場に勤め、労組の教宣部長をしていた。 建築デザインをしっかり勉強していきたいことと、世の中の為になるデザインのことを突き詰めたなら いつのまにか工場の熱処理ラインに立っていた。自分に適性なことか?デザイナーの道を捨てるのか? いつも悩みに悩み。。。いつかそのうちに吹っ切れて。 こんな決定もできたのは、まだ社会にゆとりがあったから。前の世代の教育も影響してるのだろう。 さとしの親世代は生活との闘いは力強く、反戦平和の願いを子に託した。社会抗議の仕方も教えた。 誰に何を訴えていたのだろうか。25歳の若者は。 掲示板を使って社会には自分の悩みを出した。 重大事件を起こし、親には最低でもなにがしかのことを訴えたと思うが。。。 私は、今の若者がニュースに出たことをするほど、追い詰められてるとは知らなかった。 何に追い詰められたか、それは今のところ、若者としての生活と社会人としての生存だと思ってる。 男の若者の一人による、何十年もなかった大きな事件。永山則夫連続射殺事件が思い浮かぶ。 永山事件は発生から後年になって、みんなが理解しようとしてきた。永山事件からは、犯人が貧困 過ぎて、学校もろくにいけなかったことがズシンと感じられた。 マスコミにしか情報を得られない自分の現在、この事件をどこまで忘れられないでいくことができるか。 マスコミには忘れないで、時間をかけて情報を出してもらいたいものだ。 1975年(昭和50年)サイゴンが陥落しベトナム戦争が終結した。先進国の歴史の大転換点に当る年と思います。 好き嫌い、賛否両論がありますが、羽仁五郎、高橋和巳、鶴見俊輔、野坂昭如、寺山修司さんみたいな 若者の生活の精神的支柱となるような者が、今の若者にとっては誰か?私には全くわかりません。 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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秋葉原の彼のことは、ちゃんと分析をしないといけませんね。マスコミが興味本位に取り上げて、時間が経てば忘れる…。問題は先送りになるんじゃ困ります。 |
おいちゃん 2008/06/13 10:56 |
おいちゃん〜おはようございます。 |
さとし君 2008/06/13 11:29 |
昔、25歳頃会っていたら、きっと、さとし君とは、大激論になっていただろうけれど、でも、昔は陰に篭らなかったから、理由無き殺人みたいな事件は、誰も軽蔑したと思うわね。 |
秋桜 2008/06/13 19:21 |
いつも悩みに悩み。。。いつかそのうちに吹っ切れて。 |
マイルド 2008/06/14 00:03 |
もしかして、僕と秋桜さんだけで言えば、「両極」(笑)にいたと思いますので、イエテル、大激論にはなっていたことには違いないっすね。 |
さとし君 2008/06/14 00:58 |
マイルドさん〜こんばんは〜。 |
さとし君 2008/06/14 01:27 |
昔、立ち読みした本の中で、失敗した時に人のせいに |
のんびりかあさん 2008/06/15 18:55 |
のんびりかあさん〜こんにちは。 |
さとし君 2008/06/16 19:28 |
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