さとし君の日ごろ

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help リーダーに追加 RSS 発見『那覇行とうきょう丸』の写真

<<   作成日時 : 2008/06/14 01:48   >>

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「お〜い、元気でなぁ〜」との見送りの者の声が大きい。でも船はさっと竹芝桟橋を離れた。11月の頭、

3年程会社勤めをする前の、学生2年目だったと思う。1万6000円の仕送りを50ドルに替えて、

防疫の注射を打ち、自分で出した[For the purpose of the sightseeing]と書かれた

パスポートをナップザップの奧深く入れて、30日間の沖縄の旅。

48時間後、お昼、那覇港にとうきょう丸は到着した。WEBで偶然発見し、
ブログを書きたくなったとうきょう丸の写真。↓


http://www.wakanatsu.com/philippine/photo/tokyomaru.html


「学生さん達はどこから?」と、タクシーの運転手さん。
「東京からです。」
「ヤマトンチューかーー」と、ちょい声を荒げて言った。

那覇市内の公立高校の正門で、自分達の考えを主張するビラを入れていたら
叫びながら近寄ってきた高校生がなにを言ってるのかわからない。
琉球語で話をしていて、さとしの胸ぐらをつかみ抗議したのだ。
先生が止めに入ってくれたので、事態が悪化せずにすんだ。

本で沖縄のことをそれなりに学んでいったことが、ザッーと実際行ったら取れちゃった。

少しは観光でもと、糸満の町のお墓を見学していた時、民家から三線がなんとはなしに流れていた。
のんびりした時間の流れを感じた。  ユーチューブの動画のリズムで、静かな民家の集落を歩いた。

(↓ノースリーブの女の子が下娘アイにそっくり^^しぐさも。。^^)





11月一杯沖縄に滞在して、帰路、船酔いには困った。デッキに出ると晴れた気分。
オヤ、女性がいる。こちらから話しかけた。東京に働きに出ると言う。
彼女は、自分が沖縄出身だということをはっきり言いたくなかった様子だった。
琉球語のイントネーションにならないように話していたようだ。自分も彼女に対して
学生の分際で遊んでることを悟られたくなかったので、少し話をしただけだった。


沖縄を知ろうとか人々に訴えようとしたが、痛恨の旅だった。12月20日「コザ暴動」が起きた。
事件の起きる少し前に沖縄にいたのに、そんな気配は全く感じなかった。
行ってみたものの、学んでいたことがザァーと取れたし、帰ってきて、「暴動」によってはじめて知った
住民の心からの声だった。


沖縄に行ったら嘉手納基地は絶対見てもらいたいな。滑走路が全体見渡せる有名な丘があります。
滑走路は飛行機を早く止めるためスロープになってるので、地平線をみることに。。また広大なんです。


僕はなぜかもう沖縄には行きたくありません。広い青い芝の庭を持つ米軍住宅を見たくないのです。
今でも忘れられないのは、健児の塔のある洞窟に吹き付けられた火炎放射による黒い跡を
見て背筋が寒くなったことと、エメラルドグリーンの海の色だ。海だけ見に行けません。
でも、子供には大いに賛成して行かせたい。

沖縄返還後でも、新婚旅行は京都をじっくり見る旅だった。観光産業には協力できなかった。(笑)


嘉手納町HPにては、基地が産業の振興の制約をしてることが書かれてる。町面積の8割以上が基地。
2006年(平成18年)の沖縄県知事選で琉球独立党(現・かりゆしクラブ)の候補が6000票獲得した。
最近になって知ったさとしにとってのニュースだ。沖縄返還から36年、独立という名前を入れた党があったとは。。

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
私は沖縄に行ったことがありません。一度いってみたいと思いますが、なかなかこのような眼になってしまっては…。沖縄は大東亜戦争に対して、私たちとは全く違う感情をもっているのでしょうね。そして、基地。ここにも日本のあいまいさが出ていますね。私たちは正しい歴史を学ばなければ行けないと思います。今の教科書でそれができるのか…疑問ですけど。
おいちゃん
2008/06/14 10:12
ああ〜、ごめんなさい。
私には、さとし君が沖縄に何しに行ったのかが、よく分からないです。
抗議のビラって?
どうも、常識がないみたいです;
私にとっての沖縄は、返還されてから本島に早く帰属しようとしてきた観光地。
こんなにオリジナリティがはっきりしている島が日本にあったのかという思いでみてきました。
歴史認識は浅いのですが、米軍兵士のストレスのはけ口に、悲惨な事件や事故が多くありました。
とりわけ、少女の暴行事件はいまだに忘れられません。
それらも、今ようやく、頻繁にマスコミでも取り糺され、政府も動き出しました。
私は、観光で何度か沖縄に行っていますが、料理にも音楽にも自然にも・・癒され、大好きな場所です。将来、住みたい場所の一つです。
私の周囲にも、沖縄出身の人がいて、今は、全く平気ですものね。
さとし君も、アイちゃんとご一緒にもう一度是非行ってきて下さいね。
もしかして、海で泳げないとか(笑)
それにしても、さとし君の学生時代は、かなり魅力的です!
マイルド
2008/06/14 18:45
さとし君 心配ありがとう。
アップしていたのね…(^_^)v

沖縄って行ったことない。老後の楽しみにとってあります(笑
私、沖縄っていえば思い出す人が一人います。岩手の人だけど。
彼はお父さんが出征中に生まれ、そのお父さんは戦死したの。
つまり、お父さんの顔も知らない。アメリカは憎しみの対象。
でも、ボーイスカウトの行事か何かがあって、お嬢さんを伴って沖縄を訪ねた時にお嬢さんはそこで一人の米兵と知り合い、後に結婚したの。
今から15年ぐらい前のことです。やがて孫が生まれ、その時に長い間のアメリカに対するわだかまりが解けた…と彼は言ってた。
10年ぐらい前に50代で亡くなりました。

さとし君の思いとは関係ないコメントね。ごめんなさい。
>それにしても、さとし君の学生時代は、かなり魅力的です!…その2

Fチェスカ
2008/06/14 23:12
おいちゃん〜おはよう。
そうですよね、敗戦からずっーと米軍の統治下にあって、返還まで30年ほどかかったのですからね。返還されてから基地の規模もそう変わってないですから、あいまいです。観光もですけど、工場も本土並みにある県とするように政府もすべきです。
さとし君
2008/06/15 05:53
マイルドさん〜おはよう。
ちょうどさとしが行ったのは、返還前で、本土の国会に議員を送る選挙がありまして、その選挙に対しての意見を書いたビラをくばってました。
厳密に言うなら、日本は琉球との合体の国と思われるほど、独自の文化や宗教観、それに自然、言語のあるところだと思います。
米国の兵士が、本土から太平洋を越えて、遠くの沖縄に派遣されても、我が物顔で自由かってにできるはずがありません。
沖縄はいいところです。だから何回もいきたくなりますね。でも基地だけはドッサと少なくし、工場などを作るなどをすることに本土の人間も考えないと、そう思います。
さとし君
2008/06/15 06:04
Fチェスカさん〜おはよう。
へぇー、いいお話ですね。沖縄は一度だけでもいってみますと、海の色には誰もが感激します。
自分の実力もわからず(さとしの場合)、どこにでも行けるのは青春の特権なのでしょう〜。青春時代の真ん中は道に迷っているばかり♪余震のなか、コメントありがとう。
さとし君
2008/06/15 06:12

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