さとし君の日ごろ

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<<   作成日時 : 2008/07/02 01:04   >>

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生活指標・人生訓と言おうか、人生のなかの苦しみを理解するため
の言葉というのか、これが人生(生活)の真実なことなのか
と、それなりにこれまで感じてきたことをここに書いてみた。



□いいことをすればいい結果であり、悪いことをすれば悪い結果だ

□人は大きな、目にみえないものに生かされてる

□時には、神仏が、あえて仕事を休ませ、させないこともある。

□呪えば穴二つ

□先祖さんのご守護があったうえでこそ幸せに生きられる

□自分の苦しい時の境遇は、亡くなった縁ある者の供養を受けたいとするお方の叫びの表現である

□少年期から青年期には、神から罰(ばち)当りの人生を自分は送った。
それは宿命だ。罰当り状況を子に送りだせない。

□青年期までの罰当り人生のことで親を恨むことはしてない。さとしは偉い。

□自分からの笑顔の大切さを身に染みてまだ知らない

□子には子のご守護霊さんがついてくれていて、親としてなにかと言うべきでない

□上娘のご守護はどこのご先祖か、夢で教えていただいたが、自分は明確にはわからない。

□自分の『本願』は子のために働くことと、大日如来さんからお教えいただいた。

□色欲の因縁を切ることは、自分の人生の目標であり、生まれてきた意味だ

□自分はどうも欲が深い〜   自分の失敗も他人から見て可愛らしさである点留意しな

□セックス抜きの恋ならともかく、色欲、肉欲が強すぎての思うままがままの実行ほど、
家族や子孫を地獄に連れていくものはない  社会事件の背景に不倫が見えるからだ
自分もあの世に逝って、膣が口におおいかぶさり、小便で息ができない何十年となろう。
水を飲めず、喉がかわき、飲めるものはセックスフレンドの体液で、何十年。ないし、膣を欲しがって
獣の性器にもかぶりつく。ぬぐっても毎日、思うだけでも嫌いな、女の月経のシャワーをあびる。
不倫した時の、私の逝った先で住む世界では、こんなもんではないだろう。

□家族が唱える南無阿弥陀仏をご飯として、成仏道を歩ける

□人は成仏まで60年ほどか? 私の場合はわからない。

□人が人を殺す法律があることは誤りだ。人には命を消す裁きができない

□栄養不足を心配するよりも、食べすぎによる弊害は、体の細胞側の驚きと負担として考えよ

□人間は寂しい存在のようだ。寂しくない時でも、時には誉められたいし誉めてあげねば。

□自分の親を看る自分の子の眼。親に優しくすれば子から自分も優しくしてもらえる。

□悟れる者のお陰で、3代前のご先祖さんが成仏できて、自分ではできないことを
していただき、大変ありがたい

□祖父が花園の世界にいることを目でみたことがある。成仏の世界を信じる〜

□今の状態だと、さとしは先祖さんみなさんがおられるところに逝けるか不安だ
逝かねばならぬ〜是非逝きたい〜〜

□まずは自分の家の神様を大切にすることだ。神様だからみんな同じということでない。
神様のお使い姫さんに、人間の現世界の家族同様な眷属(けんぞく)を感じる

□比叡山に行き、精神的苦労のため山にそのまま篭(こも)りたい程の気持ちだったが、
普通の世間のほうが、山に篭るより大変だし、世間にいることはりっぱな行と、説得された。

□運命は神、仏様にお祈りするなどの実施の行いにより変えたり、悪い方向にいかせないことができる

□光と時間の同時進行があり、死んでからも生きているような世界がある
成仏をめざして雲の上に乗り、つきすすんでる先祖を自分は眼に見てるので、死後の世界を信じてる
先祖さんの服装は背広とか、ワンピース、着物でもない。装束であった。(笑)

□系図をみた。先祖に生まれながらの全盲でなくなった人がいるのだ。身障者を差別してはならない気持ちを
強くした

□性格が良く、笑顔の素敵な人ほど若死することが多い。  不思議と亡くなってからわかるのだ

□公衆便所の清掃のおばちゃんに仏を見よ

□同級生では大学を出てないワタナベ君が一番偉い

□罪のない者が得るだろう、ストレスのない、又は必要以上の欲を取った時の、正しい呼吸は大切なことだ
禅で教える呼吸の意味なのか

□かたちが心をかたち作る〜  神様を御祭りする時の作法は大切なことだ  普通の生活でも

□先人、先祖の恩や努力の積み重ねの上に今の自分の命がある

□たどればユダヤ系先祖を持つマルクス、トロツキーの思想は、「勝ち組」根性で、世界史の発展には
人類の徹底した犠牲ありとし、犠牲を覚めた目でみていて過激で攻撃的過ぎる。過激では世界の
みんなが賛同しない。「負け組み」にこそ目を向ける東アジア、日本の宗教思想が世界を救う   
反省は早くなく、もうしてもいいが、アメリカ文化の戦後日本移入(された)が良かったか?

□政治活動は右でも左でも、最も自分に適してないもののジャンルだ  とうの過去にこりてる

□学問で一番大切なことは仮想、仮定することだ

□西洋型近代合理主義思想の行き詰まりにあえいでいるのが今の世界だ
石油合成品など、土に還らないものを、作らないように、地球温暖化防止策の後すべきだ

□弥勒菩薩様は大変だ  56億7千万年も毎日ご修行される  衆生のためありがたいことです

□歌い、踊り、楽しく語り、おいしいものを食べ、笑い、騒ぐ。これは先祖や神と同じになり、共に喜ぶことだ。
必要だが自分はしてない。

□するどい剣は自分に向けるものだ

□ご真言には助けられた。唱えれば大いに効果がある。

□一端「怖い」という魔が入ると、なかなか取れにくいものだ  取る方法を知らない

□眠(ねむ)たいも自分に入る「魔」の一つだ  病気以外好き勝手に寝てはならない

□建築士は建築の番匠棟梁にはまだなってない  めざしたい

で、夜で眠たいです、そろそろお休みなさい。(笑)


以上書いてきましたが、項目の数で、僕もこれきししかと思うが、そうではない。強欲な発言です。(笑)
僕もどなたにとってももっとたくさんのことか、一言でも重い言葉を持っています。
生活しながら見方・考えを発見していくことも人生の意義なのでしょうか。

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コメント(15件)

内 容 ニックネーム/日時
す、すごい!
なんだあー、この真実の羅列は!!!
それで突然「同級生では大学を出てないワタナベ君が一番偉い」というのがなんとも単純明快で素晴らしい。

私は宗教とか信仰というのは「自分の心との戦い」と信じてます。自分の中の煩悩・・・どろどろした闇・・・・こそが自分の敵で、それを見出すために友や親族がいて、その関係の葛藤においてこそ自分の煩悩(嫉妬や憎しみ、恨みなど)が出てくる。出てきたら捕まえて徹底して戦う。ここに意味があると思ってます。そういう意味で私は信仰を持っています。
arara
2008/07/02 15:03
さとし君。色々考えているのね。途中、可笑しい(フフッ)ところも有ったけれど、まあ、たくさん書いたこと。
敬天愛人愛万物・・・まあ、善を信じ、愛を信じ、人に親切を心がけて生きれば良いんじゃないの?、人生捨てたものじゃない、世の中捨てたものじゃないと、思うようにしているんだけれど・・。
秋桜
2008/07/02 17:34
araraさん〜こんばんは〜。
羅列すればいいもんではないですよね。
最近煩悩という言葉と自分のなかにあるものが一致してまいりました。
araraさんは、言い方がまずいですけど、自己チェックをいつもなされようとしていまして、すばらしいですね。徹底して戦うとのことで、なかなか自分にはできないことです。言葉としてわかっていながら。。
悪い心を少しずつでも消していくこと、それは信仰と同じことですね。
さとし君
2008/07/02 18:45
秋桜さん〜こんばんは〜。
たくさん書いてみて、ほとんどが信仰のことばかり。。
そうですよね、人に親切は、みなさんと同じように、男ですから特に仕事では一貫してそうしてきたつもりです。
人生の完成は、死を恐れず、死んでから完成のコースまだ先にあるとの考えにいたりつつあります。お金は生活に必要ですが、仕事より、自己にまとわりついた悪因縁をズバッと切る!など、人生の目標の達成のほうが重要な認識にあります。格好いい〜〜。(笑)
考えを羅列したところで、悟ったとはいうつもりはないですし、毎日生活の糧を求め、励み、子を嫁に出すまでは、人生の真実について考えるのもあえてストップさせてることが多いです。生活に余裕のある秋桜さんみたいに早くなりたいですね。
ただ、余力ができても、同じ聖地を持つ西欧の宗教の教義に触れることはしたくありません。日本の思想家から学びたいです。
さとし君
2008/07/02 19:08
これ いいですね! 私の ブログでも やってみようかな?
ちなみに・・・私が 子供に言っている事・・・・
「楽しい 事は 間違っている!」・・・でも 本当に 言いたいのは・・・・・ 「自分自身」・・なのです!(反省!)
432R
2008/07/03 00:27
432Rさん〜こんにちは〜。
ただ羅列、強引にしていく、そうでなければ私は書けませんでした。
自分を外から眺められますね。コメントもいただいたりできましたし。
さとし君
2008/07/03 13:44
ずいぶんたくさん書きましたね(@_@。
西洋の宗教から学んできた私は、根幹は一緒だと思うのですよ。
I'm OK、You are OKで。
ぬるいと言われるかな…。
Fチェスカ
2008/07/04 00:36
Fチェスカさん〜こんばんは〜。キリスト教は「愛」を説いてます。仏教は「慈悲」の大切さを説いてます。旧約の「目には目を、歯には歯を」は完全に嫌い〜〜。それ相応の罰ってことは仏教にはない。あくまで赦すってことではないでしょうか。
西洋の科学する精神は自然への挑戦と克服です。原爆をつくり使いました。西洋科学は、さとしからみて「過激な」経典に影響されてます。
インド哲学と仏教は、元をたどれば同じメッカの西洋宗教と根幹から違います。
さとし君
2008/07/05 01:20
私、色んな本読んでいないし、聖書もろくに読んでいないからあんまり偉そうなことは言えないのだけれど、「目には目を」って、要は「やられたらやり返せ」っていう意味ではなく、「もしもやり返すなら、やられた以上のことはやるな」…って意味だと教わりました。そしてそれは個人的に復讐をするのではなく裁判に委ねよということだって。あとは、やってしまったらそれなりの償いをしろということだって。
「赦す」のは人間を許容する(違う人間性を認める)という意味なのではないのかな。犯罪は裁かれなければなりませんよね。

Fチェスカ
2008/07/06 07:04
Fチェスカさん〜こんばんは〜。
同じ害の分の報復を認めるってことでしょ?それ以上はダメってことの法律。Fチェスカさんのおっしゃる通りだと思いますよ。でもね〜、ハムラビ法典・旧約聖書通り、今なを、実際目をくり抜いたり、窃盗で手を切断するイスラム圏の映像をみるとね〜。東アジア人には目をおおおうものがあります。死ぬまでの投石刑も。
イエスキリストは「目に。。」に批判的だけど、実際右のほほ打たれたら、左のほほを打て、こんな理想論で済まないで、キリスト教国は国同士の問題にはひつこいよね。
奈良の大仏さんは、どんな悪人も赦し、どんな人も地獄から救うとのお気持ちの決意を示す「印」を結んでます。左手を上向きに差し出し、右の手のひらを挙げて。
国境が接した、他民族、それに奴隷制のあった国で、自然は寒く、乾燥して厳しかったりとか、そんな自然条件も宗教法典に影響してると、そう思います。
世界のほとんどが、残念ながら、キリスト、イスラム、ユダヤ教の国なんだな。これらの国間で戦争すると激しくて。。
さとし君
2008/07/06 19:31
ヨーロッパ、アラブ、エジプトを含む北アフリカの歴史は宗教対立の歴史。実に醜い。
原典を重箱の隅をつつくみたいにしても、なにもわからないと思うな。ある程度は必要だけど。ダイナミックな態度で、戦争や侵略の歴史に宗教観がひそんでることでは?そんな視点から見てみる必要があると。残念ながらキリスト教にとって、今からも世界は自分達のもの、そういう価値観ですね。
個々の信者の愛を持った生活は尊重されねばなりませんが。
さとし君
2008/07/06 19:48
同程度の報復は認める…ということより、やられて耐え忍ぶってことは人間には基本的にできないんだから、でも報復するんだったらそれ以上のことをやれば、また、相手が「こんなにやってないのにぃ!」って怒ってまたやり返すわけでしょ。だからやられた程度に留めておけば相手も自分もやっちゃったんだからしょうがないや〜と諦める。そうじゃないからまたやり返す。
戦争はこうして繰り返されるのではないの〜?よくわからないけど…。

戦争や侵略の歴史に宗教観が潜んでいるのかなあ…。宗教を利用しているような気がするんだけど、自分たちの都合のよいように解釈して…。
人殺しはだめと言いながら戦争で人を殺しているのを見るとあれれとは思うのだけれど。
それにね、東アジア人だって(日本人だって)結構残酷なことをして来ているし…長い歴史の間には。手を切断しなくても首を切断しているし。
生体解剖なんつうのもしているし…。真冬の川の中に檻に入れた人間を置いておく…なんてこともしているし。

Fチェスカ
2008/07/06 23:34
キリスト教でもね、神はすべてを赦す…って言ってるの。大仏様も神様もすべてを赦すの。赦さないのは人間なの。それは仏教徒でも一緒でしょ?
世界はキリスト教徒の物ではなくて唯一の神の物…なのです。
それは各々の信仰上の神であってキリスト教徒にとってはキリスト教の神であり、仏教徒にとっては仏様なのじゃないのかなあ…と思う。
軟弱なキリスト教はそれを認めています。
私、決してキリスト教オンリーの意見ではないのですよ。
あくまでも I'm OK You'e OK…です。

Fチェスカ
2008/07/06 23:36
Fチェスカさん〜こんばんは〜。します、できます。私は家族や自分が被害者になったなら、自分の平素の不徳のいたすところってことで、耐え忍びます。報復を求めません。私にまつわる、目にみえないものの因縁因果として「処理」します。
「目に。。」の精神は近代の刑事法にも適用されていて、評価を全くしてないわけではないです。ただあくまで東アジアの宗教哲学との比較でどうかな?って私は言ってるのです。罪に対する寛容さの度合いの比較など。
あれこれFチェスカさんが書いてますが、そのコメントに対する私の返事で、ここで一まとめにいいたいのですが、純真な気持ちで信じてるキリスト教信者をどうのこうの言ってませんし、その個人のお方からの世界観、歴史観、戦争観についてどうのこうのではないのです。ですからFチェスカさんのいろんなケース想定の問いかけに応えません。近代世界史の西欧諸国による、世界の後進国植民地争奪戦で、キリスト教のはたした役割の罪の部分はもうすでに研究しつくされてます。ベトナム戦争はキリスト的「自由」とイラク侵攻はイスラム教アラブ諸国の中心地イラクを憎しとしたものであったのです。
さとし君
2008/07/07 01:46
聖書のなかの陰に潜んでるもの、またはそれを解釈する信者の集団が行動の価値基準として取っていく上で、聖書の原典的マインドが因縁的に影響してることである、そうしたさとしの主張を理解してください。すなわち、コメントのあれやこれやに応えたいんだけど。。
一神教をさとしはなげき、多仏・神教に安心を憶えます。ザビエルをはじめとした世界の布教活動には、キリスト教は「上」(西洋は「上」)、土着的呪術または宗教は「下」の考えで進められてきました。乗り込んだ国で曰く、「下」であれば国際的に不利で豊かな生活はなしとしてきました。排撃的因縁があるのです。
外国の青年が、日本のお寺の仕事をしながら東洋仏教に、一部の人達ですが、触れてます。心の救いをもとめて。。。
アラブ・イラクとキリスト圏アメリカの醜い争いは、怨念めいて、尾をひきます。元をたどれば同じ経典・メッカなのに。。両方に残念なことです。
さとし君
2008/07/07 02:15

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