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zoom RSS 日米防衛協力のための指針について(4)

<<   作成日時 : 2015/08/19 18:48   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 2

沖縄の心を知ろうと皆さんに呼びかけていながら、自分の知ったことを書きたいです。
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1970年12月のコザ暴動の前の月末まで、1ヶ月沖縄に滞在していたが、帰国後にまさか暴動が起きるとは思いもよらなかった。県民の気持ちを完全に読めなかった。
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太平洋戦争で上陸する米英艦艇のなかには、ブルトーザー、火炎放射戦車が積まれていて、沖縄を焦土とした上、基地とする目的の攻撃を予定していたのだ。総勢55万人、1500の戦艦。第2次世界大戦中から西側は既に共産国を意識していたのだ。このことは最近はじめて知る。本島に4月1日に上陸し、6月23日ごろには収容所は十数箇所作られた。
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戦闘が終わっても、治安維持と言い、閉じ込め、その間基地として好きな広さを線引きし、建設した。
早く作った。戦闘前の普天間。耕作地が見える。
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あっという間に基地へ。
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1951年の4月28日は沖縄屈辱の日。その前から、国際法上は無効なプライス勧告を発令し、誰からも干渉を受けないで使用する権利を主張。
米軍も一時は金を出し、土地を収用する意向であったが、コーラ1本の値段の5分の1の値段で20年間という内容であった。当然に沖縄県民の反発を受け、銃剣とブルトーザーによる強制摂取を開始した。
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家族を米兵に撃たれた悲しみを抱えながら、米軍と、日本本土から孤立するも、家を作り、生活と農地を守る壮絶な、戦後のない闘いの連続であったのだ。沖縄に行った時食堂に入り、チャンプルを注文。美味くなかった。本土から飛行機で野菜を運ぶところまで、農地が潰されたのだ。那覇の丘陵地には、これで台風で大丈夫か。。
という家ばかりで、農地を取られた県民が集まって住んだのでしょう。
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米軍は日本の街を空襲し、原発を2つも落し、沖縄では非戦闘員までも殺した。「娘あさり」は長いことやりたい放題。沖縄戦と基地建設の強行は、我々日本人を虫けらのようにみ、朝鮮、ベトナム、そしてイラク、アフガンの各国人民をも、米兵には虫けらである。新ガイドラインの言う、抑止力の強化と国際情勢が変化してきたということは嘘である。元官僚、学者、戦争で悲惨なめに合うも、やっと生きながらえてきた日本国内外の証言、新事実が今になって明らかになってきてる。安保と地位協定の日本列島は東アジアの侵略基地なのだ。日本防衛のためではない。
戦後の新制教育を受けた教育労働者の平和の大切さを、学校で教えて貰ったしか戦争のことは解らない私だが、新ガイドラインから、あいも変わらない米軍の本性を見いだすことができた。米の憎たらしいのは、反米意識を持つ寸前まで鬼畜のような政策を打ち出すことである。
米西欧には、軍事の仕事が100%の企業がたくさんある。極東アジアの地勢の中国と米の間の小国の運命は、自分で築くものである。朝鮮民族の悲願である統一の妨害と日本を核のゴミ捨て場に。。米・中国中央政治局常務委員9人の内密な合意、すなわち軍事政治取引、小国を犠牲にした2大国間のみにメリットのある交易をさせてはならない。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
終戦間際の沖縄では、どれだけ多くの民間人が犠牲になったか・・・・最近のニュースなどで知って、改めて日本軍の惨たらしさに腹が立っています。
私が8歳の子供のころ、大人たちが「日本は大丈夫、沖縄が防衛線になってくれるし、本土では神風が吹いてくれる・・・・」こんな話をしておりました。
その沖縄では、民間人までもが兵隊と一緒になってアメリカ軍に立ち向かわされたのですね。
そして戦後は、アメリカの基地の島として、再び本土の犠牲になってきた。
沖縄の人々の今の怒りは、当然のことだと思います。
参議院の特別委員会で、山本太郎議員が岸田外相と中谷防衛相にたいして鋭い質問を繰り返しておりましたが、集団的自衛権の問題はすべて事前にアメリカに言われた通りの筋書きで動いていることが分りました。
日本は戦後一貫してアメリカの言いなりで動いてきたのだということですね。ひどい話だと思います。
あきさん
2015/08/20 16:44
あきさん〜、私が二十歳前後、親からの仕送りの1万6千円ほどを50ドルに換え、保健所で注射し、パスポート申請も自ら行い、船に乗り込みました。健児の塔の洞窟の黒い火炎放射の跡を見た時のことは今も忘れません。そういうことが戦後生まれの知ってます戦争です。青春期のはじめての外国は印象が深いものです。あきさんの8歳ころの話は全国的なものだったでしょうか。あきさんが学童持代に経験したことは、どんなことでも聞きたいですね。
山本太郎さんの質問は鋭いものが確かにありました。いつまで経てもアメリカの言いなりになっていてはいけない。。こういうことも山本議員は表現しました。技術を教え、日本製品を買ってくれた米ですが、もうバブルを残念ながらしかけられてから30年に近づいていきます。GDPは落ちていくばかり。日銀緩和、郵政民営化、3公社5現業のKK化もして、米の株式市場への「貢献」もしてきたのですが、戦争だけは日本に持ち込まないで欲しいです。
沖縄のリーダーには米と直接交渉できる力があると思うこともあります。それだけ苦労したのでしょう。
さとし君
2015/08/20 21:13

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