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<<   作成日時 : 2017/08/11 23:33   >>

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特集貫かれた非暴力 劉暁波が遺したもの

2017年7月18日 19時08分
ノーベル平和賞を受賞しながら、国民に一度も直接語りかけるチャンスを得られなかった一人の中国人作家が、今月、息を引きとりました。「中国の民主化運動の象徴」と言われた劉暁波氏です。非暴力を貫いたその生き方は、中国で、そして世界で、多くの人の心を打ちました。中国政府は何を恐れ、劉氏を拘束し続けたのでしょうか。そして、劉氏が目指した社会とはどのようなものだったのでしょうか。
(中国総局 戸川武記者/上海支局 為井貴規記者/国際部 奥谷龍太デスク)


中国当局が最も恐れた人物

中国東北部・瀋陽の中心部にある「中国医科大学付属第一病院」。周辺にはおびただしい数の私服の当局者が配置され、異様な雰囲気に包まれていました。末期の肝臓がんを患った劉暁波氏が治療を受けていたのです。
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今月上旬、現地に入ったわれわれ取材班は、常にこうした当局者の視線を感じながら取材にあたることになりました。時には尾行されることさえありました。当局が過剰なまでに警戒していたのは、われわれ外国メディアに加え、病床の劉氏を見舞いたいと願う支援者の動きでした。

病院の23階の劉氏の病室には誰も近づけない状況が続いていました。中国政府は劉氏が死に瀕してもなお、外部との一切の接触を認めようとしませんでした。劉暁波氏とは中国政府が最も恐れた人物だったのです。

貫いた非暴力 天安門事件と「08憲章」


<民主化運動の中心人物>

銃をたたきつけて壊そうとする男性。1989年の天安門事件の際、暴力に訴えることなく民主化を推し進めようとしていたこの人物こそ、劉暁波氏です。学生や市民ら100万人が集まったとも言われる中、劉氏はリーダーの1人としてハンガーストライキを実行。あくまでも非暴力に徹したその姿は、多くの人を引きつけました。

当時、天安門広場で劉氏の演説を聞き、その後も交流を続けていた男性は、そのときのことをこう振り返っています。「ふだんは滑舌の悪い男なのに、ひとたび人前でマイクを握ると違う男になるんだ。リズミカルに人の心を打つ言葉が次から次へと出てくる。あれほど人を引きつける人は今の中国にはいないだろう。まさに、革命のために生まれた天才だった」。
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天安門事件のあと、民主化運動のリーダーたちの多くはアメリカなど海外へ亡命していきました。しかし劉氏は、民主化運動を前進させるためには中国国内に残ることが大事だとして、とどまり続けました。当局に何度も拘束されたり監視を受けたりしながらも、天安門事件の犠牲者の名誉回復や民主化の必要性を一貫して訴えました。

<一党支配を批判した「08憲章」>

2008年12月、劉氏が中心となってまとめた1つの文章がインターネット上に発表されました。中国共産党の一党支配を批判し、三権分立や直接選挙の実施などを訴える「08憲章」です。「08憲章」には、国内外の学者や弁護士などが次々に賛同の意を示しました。

しかし、劉氏は「08憲章」を理由に、2009年、国家と政権の転覆をあおった罪に問われ、懲役11年の判決を言い渡されました。中国共産党からすれば、劉氏は天安門事件という消し去りたい“過去”をよみがえらせようとする、いわば亡霊のような存在です。その劉氏が共産党の“現在”を批判し、中国の“将来”までも描こうしたことで、中国政府は徹底した弾圧に乗り出したのです。

受賞者不在のノーベル平和賞授賞式

壇上に置かれた空席のイス。2010年12月10日、ノルウェーのオスロで行われたノーベル平和賞の授賞式に、受賞者本人である劉暁波氏の姿はありませんでした。服役中の劉氏に加え、劉氏の妻の出席も認められませんでした。

この異例の式典では、劉氏が2009年の判決を前に記した文章が読み上げられました。文章のタイトルは「私には敵はいない」。当局からの締めつけがどれだけ厳しくなっても相手を敵視しないという、劉氏の信念は世界中から称賛されました。

「私には敵はいないし、うらみもない。私を監視する人も、取り調べる警察官も、起訴する検察官も、判決を言い渡す裁判官も、みな、私の敵ではない。私は彼らの仕事と人格を尊重する。うらみは個人の知恵や良識をむしばみ、社会の寛容性や人間性を壊し、1つの国家が自由で民主的なものへと向かうことを阻むものだ。私は、最大の善意をもって政権の敵意と向き合い、愛をもって憎しみをやわらげたいと願っている」

一方の中国政府は、劉氏は「犯罪者」だとしてノーベル賞の受賞に強く反対していました。式典に先立って各国に対し、授賞式に参加しないよう要求したほどです。さらに授賞式の詳しい内容については、中国国内で一切報道されませんでした。このため劉氏がノーベル賞を受賞したことは、知識人などを除き、一般の市民の間ではあまり知られていないのが現状です。

突然の末期がん 仮釈放から1か月余での死

ノーベル平和賞の受賞から6年半たった先月下旬。劉暁波氏が末期の肝臓がんを患い、刑務所から仮釈放され、病院で治療を受けているというニュースが世界中を駆け巡りました。がんは全身に転移しているとされ、インターネット上で公開された病室でのやせ細った劉氏の姿に多くの人が衝撃を受けました。

中国当局は、著名な専門医でつくるチームが治療にあたっていると発表。ただ、劉氏と家族はドイツなど外国での治療を希望しました。今月8日には、ドイツとアメリカの医師が診察を行い、医療的な立場から国外への移送は可能だという見解を表明しました。

しかし、当局は移送を認めませんでした。その直後、劉氏の容体は悪化して危篤状態となり、今月13日午後、息を引き取りました。病院に移されて37日目でした。

その2日後、劉氏は火葬に付され、遺骨は海にまかれました。中国当局は、遺骨の取り扱いは遺族の意向に沿ったと強調しました。しかし、劉氏の支援者の間には、追悼を行う象徴的な場所を作らないよう、当局が主導したのではないかという見方が広がっています。

国内では情報統制 国外には情報操作

なぜ末期になるまでがんを発見できなかったのか。治療は適切に行われていたのか。こうした疑問が浮かぶ中、目立ったのは、情報を統制し操作しようとする中国当局の動きでした。

<国内では厳しく統制>

国内向けには、劉氏に関する報道はほとんどなく、インターネット上の関連の書き込みは、次々と削除されました。中国版ツイッターの「ウェイボー」では、劉氏が亡くなったあとは、「劉暁波」「劉さん」「暁波」といった名前のほか、「私には敵はいない」という言葉さえ検索できなくなりました。
中国外務省の定例記者会見では、連日、外国メディアから劉氏に関する質問が出されましたが、ホームページの会見録には一切掲載されませんでした。

<国外には情報操作で適切対応強調>

国外向けには、情報を都合よく操作しようとする動きが目立ちました。中国国内では投稿も閲覧も規制されている動画投稿サイト「ユーチューブ」には、病院で治療を受ける劉氏の映像などが相次いで投稿されました。誰が投稿したのかは明らかになっていませんが、投稿された映像は、劉氏に適切な治療が行われていることを強調するものばかりでした。

ドイツの医師らが劉氏を診察した際の映像は、中国の治療を評価したような発言だけが都合良く編集されていて、ドイツ政府が中国当局による情報操作だと批判するほどでした。

外国メディアを招いた記者会見でも、当局に都合のよい主張だけを宣伝しようとする姿勢が鮮明でした。中国当局は劉氏を火葬に付した日に、劉氏の兄を会見に出席させ、遺骨を海にまいたのは遺族の意向だと説明しました。その兄は「共産党と政府に感謝する」と繰り返し述べるばかりで、質問は一切許されませんでした。

兄がどのような経緯で会見に出席したのかは明らかではありませんが、参加した各国メディアの記者からは「会見は、中国当局が無理強いした茶番だ」といった声があがりました。

世界から続々と追悼の動き

劉暁波氏が亡くなったあと、世界では追悼の動きが広がっています。劉氏が亡くなった直後には、各国の指導者らが声明などを相次いで発表。劉氏が治療を望んだドイツのメルケル首相は、「人権と、言論の自由のために戦った勇気ある闘士の死を悲しんでいる」と述べました。アメリカのホワイトハウスも声明を出し「勇気ある活動家の劉氏は、民主主義と自由の追求に人生をささげた」と、その死を悼みました。 市民が追悼を行う催しも各地で開かれ、香港では15日、およそ2000人が参加して無言の行進が行われました。

今後の焦点 妻の劉霞さんと国内の民主活動家


今、国際社会から注目されているのは、劉暁波氏が最期の瞬間に、幸せに暮らして欲しいと願った妻の劉霞さんの動向です。

劉氏を深く理解し支えてきた劉霞さんは、2010年に劉氏がノーベル平和賞を受賞した直後から、法的な手続きが踏まれないまま軟禁状態に置かれてきました。外部との接触がほぼ絶たれた生活でうつ状態になるなど、健康状態が悪化しています。劉氏が亡くなったあとも当局の監視下に置かれ、友人や支持者とは連絡が取れない状況が続いています。

国際社会などからは中国政府に対し、劉霞さんへの監視をやめるとともに、自由の身にして海外への渡航も認めるべきだという声が上がっています。中国政府は「法律に基づいて、彼女の正当な権利を保護する」と述べているものの、こうした声が聞き入れられるかどうかは、わかりません。

また、中国国内で民主化を求める人たちが、さらに強い締め付けを受けないかという懸念も出ています。劉氏の友人の1人は「警察から、居住地域から出ないよう警告を受けている。友人の中には、すでに警察に連行された人もいる」と明かしています。

中国ではことし後半、5年に1度の共産党大会が開かれる予定で、社会の安定が最も重視される「政治の季節」を迎えます。劉氏の死をきっかけに、共産党を批判したり民主化を求める人の声が広がったりしないよう、中国当局はどんな手を使ってでも、民主化を求める動きを抑え込もうとするとみられます。

中国 民主化の行方は

劉氏の死去で、民主化の動きが後退するのではないかと心配する声も上がっています。30年来、劉氏とともに活動を続けていた男性は「もちろん、民主化への思いは永遠に引き継ぐ。しかし、思いはあっても現実は厳しい。中国当局はますます言論統制を強めている。影響力も求心力もあった劉暁波がいなくなり、将来を悲観して海外に亡命する人も増えるだろう」と嘆いていました。

確かに中国は改革開放を通じて急速な経済発展を遂げ、人々の暮らしは豊かになりました。世界第2位の経済大国となり、国際社会に与える影響力は天安門事件のころとは比較になりません。最近では「大国外交」という言葉も日常的に使われ、新たな国際秩序は自分たちが作り上げるという意欲、そして自信すらのぞかせています。

その一方、中国国内では人々の権利を守ろうと声を上げてきた弁護士らが相次いで拘束されるなど、民主化運動や人権活動に対する締めつけがますます厳しくなっています。民主化を望む市民の間では「自信をつけた中国政府は、もはや世界の懸念に耳をかさなくなっている」という声も聞かれるほどです。

では、中国の民主化の希望はなくなりつつあるのでしょうか。確かに当面は難しいかもしれません。しかし、将来はまだわかりません。今、国民は経済発展が続いているからこそ共産党の一党支配体制を受け入れています。政府は経済の構造転換や内需拡大を打ち出していますが、今の体制でうまく構造転換や内需拡大を図り、安定成長に持ち込むことができるかどうかは予断を許しません。

経済が減速し続ければ格差是正も困難になり、国民の不満が徐々に高まることで、今の体制を受け入れることに疑問を持ち始めるはずです。共産党内部からも、政治改革を行って民主化に近づけていくことが必要だいう声が上がってくる可能性がないとは言えません。遠い将来かもしれませんが、そのとき初めて、劉暁波氏が評価し直されることになるのではないでしょうか。

劉氏が中国に遺したメッセージ

抑圧されながらも非暴力の精神を貫き続けた劉氏。かつて獄中で記した文章には、みずからの願いをつづっていました。祖国、中国の未来に宛てた願いです。

「私は望んでいる。私の国が、表現の自由のある場所となり、異なる価値観や信仰、政治的な考え方が共存できるようになることを。」
「私は望んでいる。私が、中国で、文章を理由に刑務所に入る最後の被害者となることを、そして、今後、言論を理由に罪とされる人がいなくなることを。」

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