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<<   作成日時 : 2017/11/09 19:40   >>

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立憲民主党を宏池会に喩える言説の盲点 - 「政治改革」の検証と総括を

衆院選の結果が出た後、立憲民主党を宏池会の表象に擬えて積極的に意味づけ言説が流行している。29日のTBSの番組で田中秀征が言っていたが、24日のプライムニュースで山口二郎もこの説を唱えて立憲民主党の意義を強調していた。山口二郎によれば、現在の自民党と立憲民主党の二つの対峙は、嘗ての自民党の清和会と宏池会・経世会の二つの間の対立として構図化できるもので、嘗ては派閥間対立であった保守派とリベラル派の対立が、外に出て政党間対立となったものだと了解すればよいとと言う。この比喩は床屋政談的な俗論の体裁をとっているが、図式として単純で分かりやすく、立憲民主党を支持する者は飛びついてしまいがちな説法である。山口二郎はこうした言説を操って、再び二大政党制を正当化する世論を再生しようと工作を試みている。昨年の田中角栄のブームとノスタルジーもそうだが、極右の安倍一強時代が続く中で、マイルドな保守であった宏池会・経世会への評価が高まる傾向が著しい。けれども、山口二郎の指摘には盲点と錯覚があることにお気づきだろうか。重要な問題が捨象されている。それは、70年代の日本には自民党の外側に社共勢力が対抗していた実態だ。自民党の二大派閥だけで政治をやっていたわけではない。

宏池会・経世会が相対的にリベラルで、外交安保が米国一辺倒ではなく、社会保障政策に熱心だったのはなぜなのか。その左側に革新勢力(社会主義勢力)が睨みを利かせていたからであり、保守の自民党は常に選挙で革新勢力と競争を強いられたからだ。今日のネオリベ的視点からは「バラ撒き」と酷評され中傷される田中角栄の社会保障整備は、野党であった革新側の政策主張を取り込んだ結果であり、そうした分配の充実によって自民党は国民の支持を手放すことなく長期政権を維持できたのである。石橋湛山以来の、宇都宮徳馬や鯨岡兵輔などに代表される左派的方向性は自民党の中に内在した潮流だったとはいえ、外側に大きく社会党と共産党の勢力があり、国会論戦で厳しい監視と批判を受けていて、場合によっては選挙で政権交代する可能性もあった点を看過してはいけない。その現実が自民党の視線を常に国民の方向に向けさせ、憲法をリスペクトする配慮と自重に繋がっていたことは否定できない。迂闊なことはできず、社会政策の公約は国民の暮らしを向上させ弱者に手厚くする方向になった。自民党の外側に社会党・共産党の岩盤が存在し、自民党の脅威となっていた事実を再認識する必要がある。山口二郎の言説は、清和会と宏池会の二つだけがあり、二つの派閥の政権交代だけで政治が巧く運んでいたような認識へとミスリードさせる。

端的に言えば、70年代の日本の政治で民主主義がよく機能していたのは、社会党・共産党の野党が自民党をよく監視し拘束していたからで、政府与党が立案する政策や法制度の方向性を、国民の求める地平にアラインさせ得ていたからである。その政治を体制的に保障する選挙制度(中選挙区制)があったからに他ならない。選挙が終わって、マスコミやネットでは小選挙区制批判の論議が花盛りとなっている。安倍晋三に選挙で完敗したリベラルの側で、小選挙区制を見直すべきだという声が支配的となった。にもかかわらず、その制度の導入を扇動した元凶である山口二郎に対しては、直接に名指しした批判は行われておらず、左翼は相変わらず山口二郎を「野党共闘」の指導者のように持ち上げたままだ。読者も知るとおり、当ブログは山口二郎の「政治改革」への批判をテーマの一つとして一貫させていて、開設から13年間ずっとその主張を続けている。岩波と朝日が「政治改革」の策動に与し、左側を切り崩す侫悪な調略をしなければ、小選挙区制がこの国に導入されることはなかった。左側の切り崩し工作の先頭で旗を振ったのが山口二郎である。われわれ市民は一度も小選挙区制を導入してくれと頼んだ覚えはないし、それを請願してデモをした事実はない。その動きは、マスコミとアカデミーによって左右から仕掛けられ、反対派は異端化され孤立した。

ようやく否定的認識が定着したが、ここまで来るのに25年もかかった。四半世紀の時間は取り返しがつかない。今の日本の若い世代は、民主主義政治というものの経験がない。生まれたときから民主主義の政治から疎外されていて、これが当然だという感覚を持ってしまっている。中選挙区制の頃、政治は地べたに生きる一人一人の手の届く距離感にあった。死票は少なく、投票率はずっと高く、落選運動は容易だった。マスコミは選挙戦を動かす主導権を握っておらず、今のように選挙に口喧しく介入することなく中立で控えていた。選挙は地域の現場で戦われており、関心は地域社会の生産と生活の利害と密着していた。右翼らしい右翼は表の政治世界に生息せず、マイルドな保守と革新との間で火花が散る論戦が行われていて、憲法改正が選挙の争点になるなど想像もできないことだった。中産階級の経済的自力があり、戦後教育の達成によるところの知的水準を備えた国民の主体性があり、今よりはるかに健全な民主主義の中で一票が投じられていた。小選挙区制になって以降、突然、掲示板に自民党と民主党(民進党)の二人のポスターが貼られ、どちらかに入れろと上から強制される。イヤなら案山子の共産党の死票で我慢しろとなる。比例票だけが生きた票となり、参政権は半分の価値に落とされた。マスコミだけが主役で浮かれて騒いでいる。

今回、「野党共闘」戦略が破綻して共産党が大敗したことで、共産党イデオローグの中野晃一が、まるで八つ当たりするように小選挙区制への恨みつらみを言っている。見苦しい愚痴だ。共産党が勢力後退した要因を小選挙区制という制度の所為にして叩きつつ、一方で、市民連合のお仲間で「政治改革」の主唱者である山口二郎に対しては一言も文句を言おうとしない。もしも本当に小選挙区制を変えようとするのなら、25年前の「政治改革」そのものに対して検証と批判を加えなければならないはずだ。今頃、選挙制度に対して共産党が泣き言を言って何になるのだろう。小選挙区制を中選挙区制に戻すためには、中選挙区制に戻そうとする勢力が小選挙区制下で圧勝し、国民の民意を得て国会に新法案を提出する必要があろう。今のような永田町の状態で、現在の選挙制度を変革できるはずがないのではないか。われわれが考えなくてはならないのは、どうすれば自民党に選挙で勝つことができるのかである。国民は政治を変えたがっているし、安倍晋三の一強支配に満足していない。そのことは、7月の都議選を見てもよく分かる。都議選は51%の投票率だった。今回の総選挙は53%。参院選の投票率は56%だった。民進党だの共産党だの、「野党共闘」だの、自民党系の誰かが新党を作っての政界再編だの、そのような形の自民党への挑戦では、どれほどマスコミが盛り上げても投票率は56%にしかならぬ。

2009年の衆院選の投票率は69%だった。本当に有権者が参加して政治を変える選挙というのは、それくらいの投票率になるものだ。有権者は1億人いる。今、投票しているのは5600万人で、4400万人が棄権して寝てしまっている。8年前の選挙では一票を投じながら、今は投票所に足を運ばなくなった有権者が1300万人もいる。どこに投票しても政治が変わる可能性がなく、期待ができず、マスコミが囃すだけの権力ゲームのショーだから、この1300万人は選挙に意欲がわかないのだ。昨年の参院選は各地で「野党共闘」が実現したが、例えば三重選挙区を見ると、投票率は59%で他と変わらない。「野党共闘」が共産党主導の野合であり、下駄票欲しさに民進党が共産党にすり寄るポーズをしているだけの打算の政治(=権力ゲーム)にすぎないという真実を有権者は察知していて、「野党共闘」のメッセージが有権者の心に届いてない真相が窺われる。永田町の既成政党による合従連衡とか、見飽きた顔による政界再編の動きでは、とても投票率を65%以上に持って行くことはできず、自民党を倒すムーブメントを作ることはできない。救世主となる新しいリーダーの出現と、国民の心に届く力強い言葉と、リーダーの下に纏まる清新で有能な軍団の姿だけが、本格的な期待の渦を作り、選挙から離れていた有権者を投票所に呼び戻すことができるのだろう。それは、永田町の外からのリベラル新党の姿でなくてはならない。

実際にはリベラルを支持する国民は多くいる。潜在的にはとても多い。だが、米国のサンダースのようにリベラルを可視化する勢力がない。既成野党や既存政治家ではだめなのだ。それは、党利党略や数合わせや野心家の権力ゲームにしかならない。有権者はその動機を見抜いてシラけて寝てしまう。新しい器でチャレンジをしないといけない。

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